salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 ビルマ 3 (マンダレー)

12/8 2泊したラングーンからバスでマンダレーに向かう。ホテルの人は 9:30 のバスに乗るにはタクシーは7時だといい、6時過ぎに起こされる。どうも渋滞がひどいからのようだ。この4、5年で車が激増したらしい。郊外に向かって走る間にも渋滞は激しさを増していく。ドライバーは30分で着いても街に戻るのに2時間かかると嘆いていた。


バスセンターというよりバス村と言った方がいい程広い所に、何十あるいはそれ以上のバス会社と様々な店が軒を連ね、バスを自分で探すのは不可能だ。その混雑ぶりにも閉口してしまう。
2時間待って乗車。ビップバスという割に大したことはない。車内は相変わらず大変に寒い。なぜ南方の人たちってこうも冷房をきかすのだろう。
バスはラングーンからマンダレー目指してほぼまっすぐ北上する。簡易舗装状の高速道路はガタンゴトンを繰り返し、楽器が心配になる。後部シートに置いていたのがいつの間に床の上だったもんなあ。
サービスエリアで休憩。中華風の食材がいっぱい並んでいて、システムは分からないがチャーハンを指差す。それを受け取って席に着くとスープが運ばれ請求書が来た。ちゃんと係が見ているんだな。案ずるより産むが易し。


それにしても走っているのは高速道路だと思うんだけど、田畑民家牛山羊馬、、境がない、、のだ。料金所みたいなのは時々通過するんだけど。山というか丘陵が少しばかりあってそれ以外は平原が続く。
農村の民家を見ていると、従来は高床式ではなかったかと思われた。一見粗末に見えるが理にかなっているし、快適そうだし、そこでの家族の営みまで見える気がする。自然や環境に溶け込んで存在していたモノに「近代」「文明」というモノ(や利器)を置くと、たちまち秩序が崩れて、汚いモノ、遅れているモノ、未開発、に見えてしまう。そんな心理にしてしまう仕掛けの恐ろしさ。風景そのものもしっとり感を失い乾いていく。物理的にも形而上的にも砂漠化が進行する。
そんなことを考えながら、もちろんビルマの風景を楽しみながら、でも半分は寝不足で失神状態のまま、最後は見事な夕日に見とれながら18時半到着。もう暗くなっていた。


幼い頃から聞かされていたマンダレー、、、そんな感慨に耽る間もなく、どっとタクシーの誘いが押し寄せる。7000チャットの申し出に対し5000で交渉。相乗りすることでオーケーになりタクシーで待っていたが、結局誰も見つけられず言い値が通った。かわいそうなので気持ちオマケした。
マンダレーの中心あたりのはずなのに、表通りを1本はずれるとガタ道の上に暗い。そんな所のホテルに到着。
周りを歩いたが本当に暗くて足下もでこぼこだし、レストランもお店も見当たらない。
それでも子供たちがバトミントンで遊んでいたし、作業している人たちもいる。つまり、文明国の人間が暗く感じるだけで、夜が明るいということ自体が狂っているのだ。結局ホテルのとなりのレストランで夕食をとった。