salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 ビルマ 完 (サガイン)

サガイン到着日に主な目的を果たせてしまったので気分は楽だ。
街をブラブラしていると目立つのか、よくジロジロ見られる。
マーケットの賑わい活気は凄い。積み上げた袋から血がしたたり路上に溜まりを作っている。ビンロウを噛んで吐きすてる赤いツバ。たかるハエ。等々文明社会ではタブーとされる価値観について考えてしまう。
イツからナニゴトがナゼ許されなくなったのか。


美容室に入った。みんな困った風な顔をしている。となりから英語が話せる人が来て、男はダメだという。日本じゃOKだよと言って出たので、習慣が変わるかもしれない。
それで理髪店に入った。3分で終わってしまうので、更にスキバサミ使用を指示。それでも5、6分。洗髪もない。100円だから文句も言えない。変なガイジンに早く帰ってもらいたかっただけかもしれない。
きのうは時間がなかったので、再度貨物廠跡を訪問。さすが英国の建物は頑丈で現役だ。そこで働いている女性たちが大騒ぎ。でも向かいからお茶を買ってきてくれたり記念撮影したりと接待してくれた。
夕方、橋の見えるイラワジ川畔で時間を過ごした。ここも父の好きなスポットで、スケッチなどが残っている。すぐ横では若者たちが釣りをしたり頭を洗ったり泳いだりしている。この原風景は変わっていないのだろう。足で櫓をこぐ舟は、さすがにエンジンに替わっていた。
川幅は広く悠久の時間が流れている。夕陽は素晴らしかった。ソプラニーノサックスで曲ができた。
https://www.youtube.com/watch?v=8H04rAGvIZs


サガイン3日目最終日。
夜9時に眠る街はワイファイも不安定で、自然早起きになる。
貨物廠と密接なはずのサガイン駅に行った。古いし小さいしもう使われてないのかと思った。駅長が現れたので父のことに触れたあと、地図がないか尋ねた。実はサガインの地図がどこにもなく、ホテルマンと手描きの地図を作って動いていたのだ。すると何を思ったのか、午後行く予定にしていた10km程離れたカムロパゴダにバイクで連れて行くと言い出したのだ。
カムロはビルマ最大のパゴダで持参の父の写真にも写っていた。お願いした。でも駅長さん、、ナゼ、、いいのかしら。
着いたカムロは金ピカで、ツーリストと土産屋で溢れていた。父一行の写真では、誰もおらず、静かで、ライオン像もパゴダも真っ白だし、かれらはパゴダの上に上ってもいるのだ。
巨大さには感銘を受けたが早々に帰った。70年前とこうも変わってしまっていた。もっとも日本もそうなのだが。
さて駅長さん、その後サガインヒルや観光客の行かない要塞跡や舟の渡しなどにも連れていってくれたのだった。お互い名前も知らぬままに。


かくしてビルマ・サガインを去る朝が来た。例のタクシードライバーマンダレー空港行きを9時に頼んでおいた。
見納めにホテル屋上からサガインヒルを眺める。朝霧の中に数々のパゴダのシルエットが浮かび、やがて金色の光を放つ。
街に出た。相変わらず活気があり、車もバイクもクラクションばかり鳴らし、みんな気が立っている。しばらく眺めていた。
そして気付いた。こんなのを見に来たんじゃない。エキゾチズムという違いをでなく、世界に通じ合う、共通の人の心性と風景を見たいのだ。
車が増えたこの4、5年以前は、交通騒音もスピーカーから大音量で流れる音楽や祈りもなかったはずだ。それにどこもかしこも自然に還らないゴミゴミゴミ。
パゴダだらけのこの小さな街は、ほんのちょっと前まで静けさに包まれていたのではないか。父が愛したのはそんなサガインとビルマだったはずだ。
人々はいつも父の写真に群がった。それ程昔で珍しい写真でもあった。そしてそれをきっかけにいくつもの出会いや奇跡が起こったのは、写真にも表れている父たちの人間同士の交流が時間や空間を超えて綾なしたのだ。ぼくが探しに来たのは、そんな世界や宇宙につながる心のような気がする。
なのにここもすでに「自由主義経済」に取り込まれ、人の気持ちが荒くなっているのか。荒い気が世界を覆っているのか。


イラワジ川畔に行こう。行きたい。強い衝動が起きた。もう8時をとうに回っていた。 急ぎ足で懸命に歩く、、、間に合った、、。
川はひとまず浮世に関係なく滔々と流れ、父のスケッチのままの風景があった。