salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 ビルマ 4 (サガイン)

12/9、前夜ホテルにタクシーガイドを予約してお金を支払った。が、朝来たのはバイクタクシー、あちゃー!
改めて頼んだタクシードライバーは大当たりで、父のことなどを少し話しただけで名ガイドとなる。しかも日本語好きという娘も同乗することになった。
マンダレーヒル〜街〜サガインヒル〜サガインのホテル、と希望行程をドライバーに伝えた。
そして翌日から3日間のサガイン滞在中に、父ゆかりの場所をゆっくり探索するつもりだった。


マンダレーヒルに向かう。父からその名を子供の頃からたびたび聞かされていた。ドキドキして街の風景はもう目に入らない。
やがて道は上り坂になり、右に左にパゴダや伽藍や遺跡やらが通り過ぎる。そしてついに丘の上に着いた。そこは思った以上の規模と荘厳なパゴダ群と寺院群だった。それまでそこは単に見張らしのいい丘で、それに父はロマンチズムを盛り込んで話していたくらいに思っていた。確かに景色はいいしイラワジ川の流れも雄大だ。でもそんなどこにでもある山から見る下界の展望より、この丘そのものが持つ歴史、エネルギー、秩序、静寂、美しさ、、、それらに感動するのだ。


いくつかある日本兵慰霊の塔も参拝し、また他のパゴダなども見たあと、いよいよイラワジ川を渡り父が主に駐留していたサガインのサガインヒルへ向かう。
この名前もよく聞かされたなあ。この丘もまた同様に、パゴダ群をはじめ本当に素晴らしかった。丘の頂上部の寺院群を歩いて廻るだけでもけっこうな時間を要するし、金箔に包まれた数々の仏像なども実に美しくて見応えがある。単に権力や資金だけでこうした聖域ができるわけではないと思う。
僧侶や三日坊主の子供たちが溢れる、父が愛したこの土地がやっと少し分かった気がした。人々は敬虔なのだ、人として。


サガインヒルを下りてサガインの街へ。ドライバーの的確な判断や通訳は助かった。今回父の当時の写真などを10枚程手掛かりに持って行ったのだが、かれは人々に訊ねながら写真を見ながら、なんと父のいた旧日本軍の貨物廠跡や宿泊所跡を次々に探し出したのだった。父はいつも写真の裏にデータを書き込んでいたことも役立った。
その上、当時父の元で働いていた若いビルマ人の写真とカタカナの名前で、なんと彼の所在を聞き出したのだ。父が1982年に1人で1度だけビルマ訪問した時も、彼、コミヤテンには会えていなかった。
「鳴呼 コミヤテン 今は何処で何をしてゐることだらう」こう写真裏に書き記している。
ドライバーがどうするか訊くも、探す気も会う気もなくただ情報として持参した写真だった。躊躇するぼくに会うべきだと言ってくれた。そう、これは奇蹟なのだった。かれが生きていることも。そして父の代理で会うのだ、70年ぶりに。


暗くなって家に着いた。家族が迎え入れてくれた。彼は足が不自由で認知症気味だったが、先の宿泊所跡に住んでいたという話だし、なにより家族が本人であることを認めた。
かれに当時の父の写真を見せて「Do you know him?」と言ったきり、言葉が詰まって涙を抑えられなかったのは、やはり父の代理だったのかもしれない。家族のだれも英語が話せないのが残念だった。
感謝とお別れに父に捧げた曲「キホウ」を演奏した。奥さんは泣いてくれていた。娘さんはぼくの腕を強くつかんでくれた。