salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 ビルマ 2 (ラングーン)

ヤンゴン(ラングーン)2日目。
前夜にユズルさんからこんなミュージシャンがいる、とメールが来ていた。コンタクトするとすぐに返信が来て Jeuko 氏と急遽会うことになった。バイオリンやギターやキーボード、色んな楽器を使うらしい。その内 Soe たち仲間も合流してお茶したり散歩したり。夜は軽く飲み会状態に。店先なのか歩道なのか道路なのか分からないエリアにテーブルが並べられていて、そこはレストランの仕切り範囲のはずなのに、自転車の屋台が近づいてインド料理を提供している。
ああ、ゆるくていいなあ。考えてみると、そんなのがないのが日本だけかもしれない。
ただの1人も知り合いのいないビルマに初めて来て、その翌日に地元ミュージシャンとこんなディープな時間と関係を持っているなんて、全く想像できることではない。ありがたいとしか言いようがない。


かれらのおかげで、ツーリストが体験しない生の観光もすることができた。
人が乗り降り中でも動きドアが開いたままでも走るギュウギュウ詰めのバスも経験できた。その様々なバスたちはダイヤで運行しているというよりも、車掌の呼び込みやかけ声、そしてかれのさじ加減で動いているようだった。
信号もあまり意味なく、車も人も自転車も何もかもごちゃ混ぜで無灯火も多いし道路の境も曖昧、そんな中を誰しもが自分の感覚と身体を使って交通が成り立っている。
街全体灯りが少なく、薄暗がりの中に多くの屋台があり、近づいてやっとそこに人が大勢いることに気づく。
あらゆることがアナログに動いている。こんな状況を無秩序に感じる日本人が異常なのだろう。少し前の日本もこうだったのにシステム化され尽くしてしまった。しかもそれに優越感を持っている。


かつての日本軍のことを訊いた。「ノープロブレム」という。やはり不幸な出来事があったことは否定できないようだ。でも表情からも日本に対する恨みを感じることはなかったし、実に前向きだった。
ビルマの90%の人々はスーチー女史に希望を持って未来に向かおうとしている。現政権の起こした事件などの話も聞いた。それらについて旅人がとやかく言うまい。ただ開放の扉を開けて猛獣が入って来ないことを祈るばかりだ。


かれらとの英語でのコミュニケーションは少々大変だったものの、それを不便に感じることはなく、15時から22時まで熱く語り合った。そして色々な質問をされアドバイスさえ求められた。
ぼくの音楽との違いは大いにあった。が、かれらなりに一生懸命新しい音楽やお金のためでない音楽をやっていることが貴い。通じるものはあった。その心の部分を今もっと知りたい。
いつかかれらとセッションが実現することを楽しみにしている。
かれらと未来の再会を約して別れ、ホテルに歩き着いたのは23時だった。