salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 逝 去

父の様態は意外にも好転せず、食欲のかたまりだったかれが食べ物を受け付けなかったのが致命的だった。
2月19日の日曜日は寒波が押し寄せて各地の道路が封鎖される中、いつもは一番に封鎖される大分道だけ通行可能で、それに導かれるように見舞いにやってきた福岡の兄家族を待って16時に病院に到着。その時はきつそうながらもなんとかコミュニケーションがとれたその直後、看護士たちが病室に駆けつけてきて緊張が走った。見ていても気づかない変化が心臓に起こったらしく、心臓マッサージや電気ショックなどをほどこした後に、医師にもう助からないことを告げられ処置は終了された。
長期戦は覚悟しかけていたが、あくまで退院を前提に思っていたので、この出来事に愕然としてしまった。
1時間程見守った時点でいったん出直すことにし、兄たちは葬式の準備のために福岡に帰っていった。
0時頃、母と姉を家に帰し再びひとりで病室に戻った時に、父をあきらめてしまっていたことを後悔した。あきらめる選択肢はないのだった。最後かもしれないからこそ最大限できることをすべきなのだ。医者の判断など関係ないのだ。可能性や確率の問題ではなく、とにかく呼び戻すことだけを考え、それから父に両手で気を送り続け、時折大声で呼びかけ、また怒鳴りつけもした。酸素マスクを付けた表情の消えたかれは、それでも3度ほど目をわずかに開け、1度は視線を合わせた。
20日月曜4時35分、父が目を開けたので二度三度大声でオーイと呼んだその時、ぼくの眼前でかれは目をカッと見開き、ハァッと大きく息を引き取った。
9日間入院し、心臓の変動から12時間かれはがんばり、ぼくとかれの最後の4時間半の闘いは終った。ぼくの両手は真っ赤に腫れ上がっていたが、勝てなかった。