salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 その後

その後、今まで経験しなかった葬儀や色々な手続きに翻弄され、それは今も続いていて、そういった社会的なコトは悲しさをまぎらわせる意味もあるのかと思うほどで、一方で一人の人間が生きた重みも感じるのだった。


告別式でソプラニーノを弔奏したのだが、その父との共演は自分の力量を超えるものだった。
四十九日法要では、読経が済んでお坊さんに出されたお茶のど真ん中に1本茶柱が立って浮いていて、仏壇でガタンと音がした。
そんなことは起こるのに、父はいまだ同居の母や姉や自分の夢に現れない。
父は人の悪口や愚痴を言わない、優しくて人に好かれる、まさに手本だったことに今更気づき、かれの大きな愛の中に自分の人生があったことを思い知らされた。かれは合理的な人でもあった。だからクールに逝ってしまったのだろうか。


11月末から4ヶ月近く演奏も用事もない不思議な時期が終わり、3月中旬から中村としまるさん、MX、鈴木昭男さん、Martijn たちとの演奏会やプロジェクトが続いていて、大分、別府、小倉、京都、福岡を静かに動いている。自分で操作しているわけでもないのに、おもしろいものだ。


3月29日に父に捧げる曲が生まれた。かれは韓国釜山の近くの亀浦(きほう、韓国名クポ)で生まれ育ったので、曲名を「キホウ」と名付けた。
http://www.youtube.com/watch?v=qvOv68aPdPA
こうして曲が生まれたりブログを書いているのも、気持ちが安定してきたからだろうか。部屋の掃除も始めた。



ちなみにうちのご先祖は山内一豊の血筋の名古屋の武家だったが、明治になって没落して一族新天地を求めて韓国に渡ったのだった。父、豊は10代当主だった。また愛媛の母方清水家も祖父の教職のために当時韓国釜山に渡っており、父母は旧制中学生と小学生の時に見知っていた。終戦になり、山内一族は名古屋ではなく別府に引き揚げて来て、父もビルマの捕囚生活より帰還して、別府で結婚し3人子供をもうけた。以降西日本を転々としたが、ついに名古屋に還ることはなかった。


このようにして、今年は世界的変化の時だと思っていたが、個人レベルでも具体的で大きな変化が起こり、その流れはどうなるのかと思っているのだが、実は今、少し見えてきている感じがしている。静かに前進しよう。