salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 salmo pop

閃いたのです!


「音の追求をしているのが、salmo sax」
「気持ちよい音の追求が、salmo pop」


ことばにすると何のことはない、が、自分にとってはまさに閃きだったのです。


最近 salmo pop と称して半営業的にというか、クラシックや童謡、スタンダードなど、自分が共鳴する曲のソロ演奏をボチボチしています。
自分で録音したサックスアンサンブルCDをバックにした演奏( カラオケ = hitori-sse ) なんかも交えて。
別に変哲ないことなんですが、、。よくあることなんでしょうが、、。


音楽性の上で、salmo pop の意味や、salmo sax との違いや共通性について考えていたのです。
両者につながりを感じてはいたのですが、やはり矛盾に思ったり。大義名分が必要なのです、男は。
去年から始めた salmosax ensemble (sse) がそれらと並立し、それ自体も色々な表現(ワークショップ、オーバーダビング、カラオケ、多ジャンル性、等)を内包しています。
sse も今、自分の中をかき混ぜています。


で、気がつけば追求がキーワードでした。


本来、音の追求の中のひとつに気持ち良さがあるのでしょう。
ぼくはなぜかずっと音色に関心があって、音色を磨いてきたつもりです。
そして今、音色の良さにはエネルギーが必要なことを知っています。
エネルギーのある音が気持ち良いのだと思います。音質といった方がいいのかな。
それを最大限表現するには、即興で普段やっているような演奏や奏法より、いわゆるストレートに吹く方が良い。
ですから今まで「salmo」、「チクシ」などの曲でそんな表現をしていました。
音色や音質を更に深めるためにも、salmo pop はあるのかもしれません。
そういうことで salmo pop は salmo sax に含まれるべきかもしれませんが、まだ当分は別々に2本柱になりそうです。
sse も入れると、3本柱。それらがリンクしあっています。
そしてその間を埋めて行くのがこれからの楽しみで、課題でもあります。




ぼくは自分のしていることの意味も価値も分からないまま演奏することがよくあります。
答えはたいていあとで出てきますし、今回も「そういうことだったのか」と腑に落ちて嬉しかったのでした。