salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 感情と音

若い頃、戦争や争いとかを避けるためには理性が大事だと思った。感情の悪循環・悪連鎖に陥らないために、物事の論理的な分析理解が必要だと。
そうしてぼくの音楽表現は矛盾だけど尖ったまま感情を避けたものになっていった。ジャズやフリージャズや即興演奏や政治的音楽に多くの怒りの音を感じ、そんな暴力的な音を排除したかったのもあった。できるだけ音に情を乗せないようにしてきた。それは間違いでもなかった。中道・中庸の立場から人間の深いところにあるナニカ、感情レベルではないものを表現したかった。音の波動を高めたかったのかもしれない。


自分の枠が大きくなってきた分、情愛的(怒りではない)な音が枠内に増えてきた。
例えば、サガインの音楽性は常識的でない色々な意味合いがあるのだけど、そのひとつが情愛的な音が多いこと。優しい音と言ってもいいかな。
そんな当たり前すぎると思われようが、ハーモニー(コード)に合った音を出せばいいと気づいたのが数年前という、人と微妙に違う人生を送ってきた人間だからしようがない。
でもそんな常識を常識と思ってなかった人の音にはまた違った重要性があるとも思う。それらを最初から疑わずにきていれば多分普通の音楽をやっていたろうし、とっくにやめていたかもしれない。
それに「情愛(優しさ)を表現した音」なんて嘘っぽい。


で、結果的に情愛音を封印してきたことに気づいたのだ。感情を否定していたようだ。自分を否定していた。
感情を大切にして感情に囚われないことが大事だった。
そんな変化が自分に起きていて、音に表れている。


ぼくの人生は人とずれていたり逆なことが多く、48歳で20歳でやるような音楽修行を始めたり、上述した音楽の常識を今更自覚したり、なかなかに面白く大事にしたい人生だ。