salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 東南アジア6/フエ

salmosax2018-04-09

宿に戻り、その敷地内に入ってきたタクシーに翌朝の空港行きを予約。約束の時間に手を振って来たタクシーに乗り込んでしばらくすると電話がかかってきて、別のタクシーに引っかかったことが分かり混乱。ボラれなかったのでよしとするが、まったく逞しいものだ。
航空会社のカウンターでフエ行きの予約便が翌日だと判明。再び混乱、がっくり。日本出国まで色々あって旅程表を間違えていた。ハノイに戻るのも宿探しも気が重いし、宿代やタクシー往復代も考えて、これも運命と高額変更料を払って機上の人となった。
フエに着くと、プリペイドカードのチャージ切れで友人のチュンに連絡できず、一時途方に暮れるが大したことじゃない。その後彼の世話で、アーティストや旅人が集う池と森に囲まれたスペース Morua に落ち着いた。


Morua滞在2日目夜、前回お世話になったハノイのレザン一行が現れて驚いた。すぐあとに、釜山で会ったタブラのナオトとダンスのソレーヌもやって来てまた驚いた。世界は狭い。
そして彼女と少し余興、、、いつもせがまれる。


3.7. そもそもベトナム訪問のきっかけを作ってくれた美術家のトゥン。昨年はかれのカフェで公演だったけど、今回はレストラン併設の広い建物が会場。美術家のオーナーが彼を見込んで貸しているらしい。貸す方も借りる方も流石だと思った。
そこに長い時間一人でいると体調がおかしくなり、夕暮れから呼吸法などして持ち直した頃、少しづつ人が集まってきた。見知った人もちらほら。
建物は広く素敵だけど南国故に扉も窓ガラスもない開放的な作りで、でも意外と響きはよく、集まったお客さん達も静かに集中して聴いてくれた。
一部のソプラニーノ、二部のアルト即興、そして最後に急遽チュンのダンスと共演。実は彼がダンサーだなんて前日まで知らなかった。前回から何かと世話してくれる彼はまもなく世界の旅に出る。子供のような自由な青年だ。
フエ公演1日目、、良い晩だった。


3.8. 最終日の公演をひかえた朝、シャワーを浴びた後急に風邪をひいた。こんな急展開は初めてで、悪寒で夕方まで布団にくるまって寝た。自分を叱咤して起き上がる。幸い少し持ち直したのもまた不思議だった。
昼から続く雨もあって、タクシーで昨年泊まっていたフンの家に移動。彼の家での半プライベートな感じの上映会。
ハルリを上映後、トーク。そしてソプラニーノで数曲演奏。若い人達は興味を持って聴いていた。
フエ最後の夜、そのままフンの家に泊まる。

 東南アジア5/ハノイ

salmosax2018-04-08

3.2. バンコクからベトナムハノイへ。この日はストレスな日。20:00の開演に対し17:40空港着予定。格安航空会社なので遅延にならないか不安だ。さしあたり前の方の席を頼んだし、飛行機はすでに待機していたし、更に離陸後最前列に自主移動したし、なるようになる。
となって、タクシーで会場のHeritage Spaceに到着。驚くような新しい高層ビルの2階で、出演者たちはすでにリハを済ませていた。
このイベントはここまで紆余曲折があり、出国後も日程や時刻が変わって告知も間に合わず、知人友人に会えなかったし、開演間際までプログラムも変わり続け、直前にぼくのソロが最初になり気持ちの準備が難しかったし、またフウアも時間切れで上映されないまま終演を迎えた。
でも主催のdomdomに関わりあえたこと、ベルリンで会ったグレゴールと共演したこと、なによりも何人かのお客さんが喜びの声をかけてくれたことが嬉しかった。


その夜に薫ちゃんは日本経由カンボジアからハノイに帰ってきたようだ。美大生からの仲の彼女、旧知のミズキさんと結婚して子供もいてハノイ在住と聞いた時には驚いた。ツアー出発前にスタジオがあるからナニカしようと電話で話したものの、ハノイ不在ではありえないと思えた。
次の日に再会して翌日のイベント決行を確認。ところが、宿に帰ってアイフォンがメールもネットも受信しなくなり、告知はおろか今後の旅にかなりの悪影響が予想され、対応と混乱と悶々の夜を過ごした。翌朝場所を変えたところ原因不明のままあっさり復旧。


3.4. ハノイ郊外の彼女のスタジオは、一般住居や古本屋兼図書館などがある一画にあった。中庭の駐輪場の屋上を舞台に指定され、背後にヤシのような巨木がある不思議な空間が生まれた。スタジオではフウア上映、、、ただし諸々の不具合で美術家の彼女の目論見は果たせず、サックスソロ主体のイベントになった。
夕刻の明るく暑く雑多な空気感での演奏に不安がよぎるが、予想を上回るお客さん達にソプラニーノで正面から向かう覚悟を決めた。曲のみを数曲、ほとんど特殊奏法も即興もなしに気持ち良く演奏。お客さん達の集中とエネルギーに助けられた。近所の子供やおじさんも喜んでいたらしいし、CDも売れた。
ゆるいながら、彼女の人柄で成功した企画と楽しかった時間に感謝。
みんなで打ち上げし、ハノイ滞在3日間は終わった。

 東南アジア4/バンコク

salmosax2018-04-07

2.27. サガインから再び父娘のタクシーで広大な原野の中のマンダレー空港へ、そこからタイのバンコクドンムアン空港
頭も身体も通貨感覚も変化に追いつかない感じ。これから音楽ツアー再開、少し忙しくなる。
空港からバスでモーチット駅に着いた時点で、ホテルでなく会場のJAM直行に急遽変更。JAMは様々な音楽やアートを紹介する重要なバーだ。最寄駅から会場周辺が少しきれいになったような気がした。
さて、イベントはぼくの映画フウアのタイ初上映から。次にユイ・チェロのチェロソロ。中々良かった! そしてぼくのソロ。次の Gamnad737 やバリの Grintabachan の演奏だけど、南国タイでこんなエレクトロニクス音楽が聴けるなんて時代は変わった。最後に挨拶程度に全員でセッション。知り合いも来てくれて、気分よくバンコクの夜は更けた。


ミャンマーでゆったりしていたとはいえ、暑いし、じっとしていた訳ではないし、国を越えての移動と前夜の演奏は思った以上に身体を疲労させていて、バンコク2日目は中々起きられなかった。遅い昼食を済ませ、タイマッサージに行き、更に休養してから会場のGOJAに向かった。宿からすぐだったのは助かった。
日本人DJがオーナーのバーで、こじんまりとしたセンスのいい店だった。
ソロ演奏を始めると騒がしい1組の客が来て演奏表現が難しくなった。稀におきるこの場面は本当に修行だ。答えは見つからないが、少なくとも怒りの感情を含めて違う表現の可能性があるわけで、実際そうしている自分がいて、それはチャンスだとも言える。結局ベストを尽くすのみなのだけど。
一方で、大声で喋り続ける彼らは、年配の男が一人一生懸命何かしていることに配慮もできない可哀想な人達なんだろう。
音楽やアートに理解のある年配の白人が、ぼくの演奏を評価してくれたことが助けだった。自分も人もモノもコトも尊重できる、彼のような人と出会い繋がる旅をしているのだ。


翌日もマッサージに行って身体を整え、バンコク滞在3日間はたちまち過ぎた。

 東南アジア3/サガイン

salmosax2018-04-06

2.24. いつものタクシー父娘と再会して、初めてマンダレー宮城内に入った。旧日本軍司令部があったため、熾烈な戦闘で全て破壊されたらしい。しかし、当然父も足を運んでいた場所なのでと考えを改めてのことだった。
四角く堀と壁に囲まれた内側はとてつもなく広いが、そこには王族だけが住んでいたという。更に中心にある王宮はよく再建したものだと思うと同時に、展示物も少なく建物も復元なので見応えは今ひとつ。ミャンマーにあった多くの宝石は欧州に流出し、搾取された歴史を気の毒に思う。
その後いつものパターンで駆け足気味に、マンダレーヒル日本兵慰霊碑、そして父が主にいたイラワジ川対岸のサガインに移動してサガインヒル日本兵慰霊パゴダ参拝、父の友人の家族宅訪問を終えて投宿した。
夕食後馴染みのカフェで新婚さんになったカップルと待ち合わせ。
ここまでハードスケジュールだった。カフェのおばちゃん、またお金を取らない、、、困った。


ミャンマー3度目の今回はヤンゴンで演奏会が実現して、少し演奏ツアーらしくなった。でもここサガインは父に関する殊更個人的な旅。2015年初めてここを訪れた初日に奇跡的に全ての探しものが見つかり、歯車が動いたことは以前のブログにも書いた。帰国後、母も父の友人コミヤテンも待っていたように逝った。2度目には扉をくぐったあとの出来事が起きた。
自転車で父のいた事務所や宿舎など廻っていると音楽が聞こえてきた。直感で生演奏と分かり近づくと、父の残した写真と同様な光景があった。子供がいわゆる三日坊主になる小坊主式だった。サインワインなどの伝統楽器に現代のキーボードや大太鼓も混じった、生きた伝統音楽、踊り、行事を体験でき興奮した。
また、その写真のお寺がサガインヒル麓にあると分かり訪れると、父がイラワジ河畔で写った写真はお寺の目の前だと特定でき、いかに父が足繁くサガインヒルを訪れていたかが偲ばれた。
その近くの病院に日本人看護士たちがいるというので、行っておしゃべりして帰った。
夜、カップルが家で送別会をしてくれ、その後例のカフェにお別れに行き、、、ありがたい。


ところで正直言うと、ミャンマーは美しいだけでなくゴミだらけなのだ。少し前の日本もそうだった。かつてのゴミは自然に還ったが、石油製品はその循環を壊した。そして力づくで走るモーターカーは周囲をホコリだらけにし、しとやかな緑に包まれた静かな環境は消えた。それは今後も「発展」により更に続くだろう。同時にまた、そもそも汚いとはなんだ、という問いも絶えず突き付けられるのだった。
カップルにそう打ち明けると彼らも承知していて、問題意識を持っていることに少し安心した。
3日間のサガイン滞在は終わった。

 東南アジア2/シャン〜マンダレー

salmosax2018-04-05

2.19〜20. 基本音楽以外の旅はしないのだが、ここミャンマーは父の愛した地として3度目の心の旅をした。
しかし英語が困難な夜行バス関係者の難関をくぐり抜けられず、またどうすればこんなに揺れるのかという位の悪路に、服を着込んでも寒い車内で、寝不足状態で半ば不本意ミャンマー・シャン高原、朝のタウンジーはエダヤに降ろされた。父から随分聞かされていたシャン高原の地についに立ったのだ。
ホテルに辿り着くと待ち人がいた。同室の台湾人と食堂にいた日本人を誘い、3人のチームでカックー遺跡などを巡る1日になったのだ。かれらとは妙な関係を保ちながら深い話も交わらせ、夜には少し即興演奏を聴かせたりして楽しんだ。


翌朝、親切なホテルオーナーと色々話していて気付いて驚いた。シャンに着いた2/20は父の命日だったことを失念していた。
それからさほど遠くないインレー湖のニャウンシェに移動。2泊して市場、ナイトマーケット、カフェ、シャン料理を楽しんだ。
ボートで湖を観光したが、父に聞いていた脚で魯を漕ぐ漁師は半ば見世物だし、首長族の女性たちをツーリストたちが激写するのも違和感を覚えたし、立ち寄る所は土産店だし。そして大量のツーリストを運ぶボートが爆音をあげて行き交う。他者や自分に対するリスペクトの念がこうもなくなったのか、と思う。
自分の行きたい所と観光地が重なるのは仕方ないもののやるせなくなる。70数年前、ここをたびたび訪れていた父の見た風景と時間を味わいたかった。


2.23. シャン高原から深い山並を、定員一杯のエアコンさえろくに効かないワゴン車はマンダレーに向かって駆け下りる。一応舗装路だがそれはもう上に下に右に左に揺れ続け、ついに音をあげた女の子も無視してドライバーは疾走。赤い岩肌土くれが不安感を煽る。「ビルマの竪琴」冒頭はいきなり「土は赤い」から始まる。
随分下って谷川が現れ清流となった。ミャンマーでこんな光景に出合い実に驚いた。日本人には分かりづらいだろうが、海外で清流を見ることは難しい。
軍の検問を2回抜けて、4時間後平地になってやっと休憩。ミャンマーカレーセットしかない食堂で、チキンかマトンを選択することはできた、、。
そこから更に3時間平原をかっ飛びホテル着。尻が痛い。
夕食にはいつもの?チャイナタウンの三叉路のレストランへ。結構疲れた上に歩き回ってしまったが、人心地ついた。

 東南アジア1/ヤンゴン公演

salmosax2018-04-04

2018.2.17. 成田から南下する機上からはアルプスを除いてパノラマが広がり、夢中で見入っていた。大小都市、富士山、四国山脈霧島連山、遠くに九重、阿蘇。かつて旅した街町、山スキーで登った山々、渓魚を追った河川渓谷、、、と日本を出ていないことにはたと気づき、またなんで東京から地元の九州までをなぞらなければならないんだ、と無駄を惜しんでみたりして楽しんだ。
その後の洋上は雲ばかりで退屈したあとインドシナ半島。赤茶色の道が山やジャングルに幾本か延びていて、そこには象なども潜んでいるんだろうと想像する。日本の山の開発はこんなものではない。
半島を横断して3度目のミャンマーヤンゴン空港着陸。空港もタクシーの受付も道路もなんか変わってきた。多くの外国人とお金が入ってきているようだ。初めての時はあらゆることにショックを受けたものだが、巻きスカートのロンジーや、ほっぺたのタナカがなくならないことを祈る。
前回ヤンゴン大学で出会った青年Nと夕食。ヤンゴン旧正月ですごい賑わいで、街じゅう国じゅうでぼくの訪問を喜んでくれていた、とする。


2.18. Enyls がホテルに迎えに来てくれてミャンマー西部の海鮮料理をご馳走してくれた。微妙な美味しさに辛味が効く。
会場のギャラリー MYANM/ART でバイオリンなどを演奏するジューコーに再会。初めてヤンゴンに来た時に出会い、最近音信が途絶えていたが、ソウルフルな熱い男だ。
アメリカ人ナタリーの運営する会場は広く気分が良い。彼女が Noise in Yangon を紹介してくれ、かれらがぼくのコンサートを企画してくれた。ヤンゴンでノイズって驚きだけど、世界はそんな情報の時代なのだ。ノイズミュージシャンは熱く優しく現状に甘えない。そんなノイジシャンが5人いるらしい!?
やっと辿り着いたミャンマーでの公演。情報もなかったが、そもそもシーンさえないような国。訳の分からない音楽にお金を払う習慣もない状況下、投げ銭システムで要望に応えてくれたのだった。


実に記念すべき幕開けはぼくの映画フウア上映。暖かい拍手に感激。続いてソロを30分ほど気持ち良く演奏。やはり心地よい反応。
その後の彼らのセッションを外れて聴いていたのだが、思いがけない演奏に驚いた。バイオリンのピンキーもギターのイトも音をよく聴いて繊細に演奏。Enyls はドラマーなのだがドラムセットではない。その時点で嬉しかったのに、タムの上に無造作にぶら下げたマイクでフィードバックするなど、独自の音を出していた。ジューコーは抒情的に過ぎると思いきや、そんな音を溶け込ませ、あるいは浮き立たせ、詩を交えて全体の流れを作っていた。
傍観している時ではなかった。吸引力を持つかれらの音に呼ばれて合流。外の騒音やカラオケも全部飲み込んだ演奏が終わった。素晴らしかった。


大分出身ヤンゴン在住カメラマンの後藤さんたちも来てくれ、共にカチン料理で打ち上げしたのだった。

 謹賀新年

明けましておめでとうございます。



本年もよろしくお願いいたします。





2月/東京、ミャンマー、タイ、ベトナム・ツアー
 東京発着を利用して、久しぶりの東京公演3デイズ。
 3度目のミャンマーで、ついに上映と演奏会の2デイズ開催。


5月/新サガイン・台湾ツアー
 1年半続けたサガインですが、ギターが京丹後在住の山崎昭典に変わります。
 旗揚げ大分公演翌日からいきなり海外ツアーします。(ベースの米増博俊はツアーに参加しません。)


5月/フルフル(FuruFuru)活動開始
 モノフォリオなどで活動中のボーカリスト、岩下清香との新ユニット。



2018年はこんな感じで進みます。