salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 釜山・亀浦

父方の祖先は名古屋の武家で、例にもれず明治維新後船舶事業に手を出して没落。ために韓国の釜山に移住しそこで父、豊は生まれ育った。
母方は愛媛県松山郊外なのだが、その父は仕事の関係で一時期釜山に住んだ。ために母、佐芽(サガ)は生まれてまもなくから17歳頃までを釜山で過ごしたのち、家族全員帰郷した。
豊とその親友の妹、佐芽はその間に釜山で出会い、でも付き合った訳でもなさそうなのになんとなく結婚を意識しあっていたようだ。


豊は釜山旧制中学から横浜の大学に進み満州に職を得たのち徴兵され、名古屋を経てビルマミャンマーのサガインなど)に派兵された。
佐芽は松山などで教職につき、川向こうの飛行場や松山市の空襲など、何度も目撃している。


終戦後、山内一族はなぜか別府に引き揚げてきた。豊が1年の捕囚後、みんなを探し求めて現れた時、その父は幽霊かと思ったらしい。
「亡きものと 思いし我が子 帰り来て 夢かとばかり 今日のうれしさ」
その報を受けて佐芽は喜び、まもなく別府で結婚して子供3人が生まれた。



これが我が家の歴史だけど、こうして書いていても両親の縁は赤い糸とも言えるもので、ほとんど付き合ってない上にかなりの遠距離関係でもある。
若いかれらが息をしていた釜山の亀浦(韓国語の発音は知らないがキホウと言っていた)に行く機会はなかった。なんとか演奏で行きたかったが釜山にぼくのような音楽シーンはなく、色々打診したもののうまくいかなかった。最後に舞踏の虫丸さんの紹介でやっとアートレジデンスに参加(9月1日から1週間)できることになった。


親戚から20余年前の家のあったところの写真も手に入った。近くを流れる洛東江(らくとうこう/ナクトンガン)には山内家の刀も沈んでいる。どんなことが待っているだろうか。豊が遊んでいた裏山にも行こう。



キホウ(山内桂作曲)
https://www.youtube.com/watch?v=qvOv68aPdPA