salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 鹿児島ツアー 1

2015年3月、初めて鹿児島で演奏するため車で6日間の旅をした。
同じ九州といえど、まだ一度も演奏したことのない県はある。宮崎、鹿児島、佐賀、長崎だ。
もっとも宮崎はジャズ系バンドのペナンペで1度、佐賀は急遽行われたカンパ制ソロの経験はある。鹿児島の屋久島へは何度か行った。


3/13 昼頃ゆっくり出発。演奏は翌日だし、車内で寝るシステムは完備。
高速道路は使わない。宮崎県に入り延岡、日向。かつてこのあたりまでは、渓流釣りのため毎週のように訪れていた。
更に南下していくと、かつての記憶がどんどん蘇ってくる。肉体を持った存在は思念と違い不自由なんだと思った。時間と空間に左右され、その時々に感じていた実感を忘れ、記憶も埋もれていたのだ。
当時、多くをひとりで地図を頼りに九州の峰々を車で走り回り、渓流を巡っていた。日にいくつも峠を越えた。未舗装の林道が大半だった。
自然の空気、香り、大気、気配を胸いっぱいに吸い込んで、未知の土地や渓流に目を見張った。
それらの感慨深い、ちょっと切ない記憶は青春という言葉を思いおこさせた。だとすれば青春は過去の中にあり、年齢にも関係なく、胸のうずきを覚えるほど熱中したことの記憶を言うのかもしれない。今回は国道中心の移動で山域に入ったわけではないのに、どんどん心が青春化していくのだった。


感動を与えてくれる自然ではあったが、一方人間の手はすでに延びていた。
天然のヤマメはいた、、風前のともしびで。今は、いない、、、断言をためらう自分がいる、、。
どこまでも伸びる林道が与える渓流へのダメージがあって、更にダムや堰堤(小さなダム)で渓流は直接破壊されていたし、今も進行中だ。
道もない深山の渓谷に突然現れる「隠された」堰堤。いったいいくつあるのか見当もつかないほどの数が、密かに税金で造られ、渓流をズタズタにしていた。
その現状を人々に話しもしたし、文章化もし、投稿して掲載もされた。自然保護の署名活動もした。
でも事態は変わらなかったし、そんな政治的な行動は自らを傷つけた。自分の心を苦しめることはまずいのだ。まったく違う価値観と行動が必要なのだ。
今振り返ると、その後呼吸法で自分を変え、直感感性を生かす音楽を通じて、世界を変えうる動きにつながっている自分がいる。


多くの教えを自然から受けていた、というか見せられていたのだ。未来をも。
渓流で起きていたことは当然世界の縮図で、最終的に象徴として今日の原発の問題に行き着く。
不遜ながら「だから言ったろ」と呟いてしまった。
でもこれからなのだろう。いや、そもそも今しかなく、常に今気づくかどうかだけが問題なのだろう。そして心を開いて今生きていることを楽しめるかどうか、にかかっている。


そんなことを考えながら鹿児島県境が近づいてきた。
初めて使うアイフォンのナビは、ダイレクトに鹿児島市に近づけてくれず、どうしてもぼくの意思に反して霧島方面を指すのだった。何度も修正したり道を変えたりしたのに、気がつけば夕闇迫る霧島神宮に着いていた。


(続く)