salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 ひらめいた

ひらめいた。
世界が一部の人々に支配されていること自体は周知の事実。
これに関しては陰謀論や闇の支配者など、色々な角度からの言説がある。そして一般的にそれらの勢力を「悪」としてとらえている。


待てよ? 
自分を含めた民衆(=被支配者)はどうなのだろう。自分の心はどうなのか。物欲はないのか。己のための過剰な欲はないのか。エゴはないのか。
支配者という人々がいるとして、かれらはそんな人々の期待に応えて、様々なコトをして叶えてきてくれたのではないか。そう考えるとかれらは「善」ではないか。
、、とここで見事に逆転してしまうのだ。


それとかれらを「悪」とすることで自己正当化、責任放棄、傍観していないか。
そもそも宇宙に善悪はない。すべての問題も答えも自分の内にある。それに向き合わず、他者のせいにしたり他者を悪人にしたりする。それもエゴだろう。



直感や感性は正しいと言い続けてきた。それらは脳ではなく、60兆個ある細胞の判断であるから。それは更に、肉体を超えた魂の領域にも及んでいるのかもしれない。いずれにしても、脳偏重ゆえの結果の今の世界があるだけの話。
だから、善し悪しのジャッジをするのではなく、直感や感性を大事にして活かしていけば世界は変わるだけの話でもある。


ぼくはある意味成り行きで音楽活動をするようになった。
音楽を含む芸術は直感や感性に直結するものなので、世界を変えるにはもっとも有効な道だと思うようになった。
そして世界が変わるのを見たいと思っていて、その意味でも演奏することが楽しいし、そんなことになった運命の成り行きを面白がっている。
もちろん、エゴで芸術的表現をしている人たちには関係ない話。



自分で出す音と会話する自分がいる。おもしろいなあ。
そのことをあえて分析すれば、普通「自分」という時の自分は「脳」(意識)のことで、それは自分の一部でしかなく、ましてや代表しているわけではなく、本来の「代表」としての自分は宇宙につながる「身体」とその「直感、感性」にあるということ。
だから逆説的になるけれど、自分で出してない音だから、そこに驚きや喜びがある。


そんなぼくの音や演奏や映画や話を聴いてくれる人つながる人が世界にいることを、ますます確認しながら実感しながら生きていて、更に色々な国に行って人と出会いたい。