salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 EUツアー (ブルッセル)

(6/9-10)


翌日は昼前にごそごそ起きて、わさわさしたあと、みんなでブルッセルの街に繰り出した。観光客が多い。チョコをかじり、クレープを食べて過ごした。
そして演奏会場の BeauHaus へ。そこはこじんまりとしたギャラリーで、絵の展示をしていた。様々な演奏会もやっていて、日本人も多くやってきている。最近ではテニスコーツ&梅田哲也が来ていたようだ。日曜ということで開演は早めに5時。天気がいいとレジャーに遊びに出るのがラテン人なので心配していたが、まあそこそこのお客さんか。


ゆっくりとソフトに演奏を始めた。
演奏中、身の危険を感じたお客さんが1人出て行ったので、更にわずかに音を穏やかにした。でも入れ替わりに3人入ってきたのでよし。
きょうもお客さんの反応はよかった。CDも何枚か売れたし。美大の女学生が大学祭に呼びたいと言ってくれたけど、実現したらいいな。


家に帰って疲れが出て来た。ジョン・ミッシェルが米を炊いて食事を作ってくれた。早々に散会。
でも結局就寝は2時過ぎになってしまった。



その翌日は日中1人だったので、ふらりと街へ。ランチは何にしようかとさまよったが、名物としては前日クレープを食べたし、ピザも今更だし、パスタはどこに泊まってもサラリと作ってくれるし、、で、オムレツが頭に浮かんだ。家庭料理風だけど、へたなものを食べるよりよっぽど気がきいて欧州らしい。そして食後に露店でワッフル購入。
帰って一休みして夕方演奏会場へ。


きょうは le chaff というレストランバーが会場。色々な音楽演奏会が開かれる有名な所らしい。
実はこんな所は苦手だ。店の内外で大勢が飲み食いしている環境で、音に集中するのは難しい。サックス1本でこの状況に立ち向かうのは辛い。実際、音響的にも厳しい。でもこれも挑戦だ。そんな機会が持てることも幸せなことではある。
案の定、演奏はひどいものだった。辛かった。集中も充分できずいつもの音の広がりも展開も冴えなかった。
音量のことも考えて、大きめの音の「チクシ」も久しぶりにやったりはしたのだけど。


演奏会最後のあたりで即興演奏をしている最中に左手で2人連れが延々と話を続けている。こんなことは日本ではあり得ない。個人主義の発達したヨーロッパかもしれないが、度が過ぎていいわけはない。こんなケースでは、仕方ないとして誰も忠告しないのだ。個人の権利によって創造者とその場を壊されるのは、暴力以外のなにものでもないではないか。この点では日本の美徳が優れているに決まっている。
少々虫の居所が悪くなり、考えた末に即興を切り上げて、これまた久しぶりに「ホウリ」の演奏に切り替えた。ソフトに始め徐々に盛り上げそして最終的に大音量でかれらを駆逐する作戦だ。
この曲も自然からの贈り物なので、こんな使い方に躊躇もないわけではなかったが、いつもの演奏法や流れに固執する時ではなかったし、これも挑戦であり試練であり状況を受け入れることでもあると判断し、神様に謝って実行に移した。
ずり足で2m以内の至近距離まで少しづつ近づいて、、、。作戦は成功し、かれらの声をかき消し、最後には咆哮で演奏会を終えた。なんというか浅ましくもあるが清々しい気分だった。
これでベルギーの3夜は終った。


深夜ジョン・ミッシェルと色々話しながら歩いて帰った。
なんとかれは当夜の演奏が3日の中で一番良かったというのだ。その日のオーガナイザーがじっくり頷いていたのも事実だ。演奏後に何人か声もかけてくれた。これは何を意味するのだろう。
今ぼくはこの点に次への展開のヒントがあるように感じている。
ある程度整った環境で満足できる演奏ができることは大きな基本ではある。でもそこに留まってはいけないということか。まだある、、でもそれがまだ言葉にはならない、、ぼんやりと感じている、、音のパワー、、人、、
最近ぼくはジャッジをやめた。やめたいと思っている。そもそもこの宇宙に正邪は存在せず、その判断は個人の都合によるものだから。
それとこの宇宙に答えというものもないと思っている。今の答えの氾濫している時代こそが大きな錯覚なのだと。答えがないからこそ演奏や色々なことを続けている。
、、そんな混沌とした自分を、少しスッキリさせるための夜だったのかもしれない。そんな経験ができることを感謝している。