salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 道 中

新潟から金沢への移動はJRを使った。普通電車を乗り継いで、バスとあまり変わらない運賃の行き方を見つけた。


糸魚川あたりで乗り込んでくる女子高生たちは、まったくイマドキになっていて、黙々とケータイをいじるグループもあったし、おしゃべりグループはというと、ことばがテレビ語(ギャル語)で方言ではないのだった。
このあたりは山スキーや渓流釣りでよく来た地域だが、変わってしまったものだ。ここは日本の原郷のひとつではなかったか。
糸魚川を少し遡ったところにあった某温泉宿はまだあるだろうか。山の帰りに奮発して投宿したそこは、書くのもはばかられるような壁画のある怪しい温泉で、バアさんとの値段交渉付きだった。で、つい高い方の値段で頼んでしまったのだが、緊張感をともなう薄暗く古汚い座敷にお膳はすでに準備されていて、値段による違いはなかったことを知らされた。ヤラレタ。
そんなクヤシクもウレシイ所だったが、、。
、、平均化の波が津波のように日本全国に押し寄せて、怪しいトコロやモノやヒトが流失してしまった。


列車が富山県に入ると左手に白い立山連邦が見えてくる。右手は海が続く。
富山の男児は大人になるために立山に登る風習があった。また本来は「タテヤマ」ではなく「タチヤマ」だったとも聞く。
立山には何度登ったろう。剣岳も雄山も奥大日岳も浄土山も国見岳も室堂山も滑ったし、夏は周辺の渓谷に竿を出した。
山々をずっとずっと眺めていた、のだが、周囲の乗客たちはというと見る者は誰もいない。
やがて通勤客で混んでくるころ、クライマックスがやってきた。右手の海に沈もうとする夕日が左手の車窓にはね返って、真っ赤な太陽と白い嶺々が重なったのだ。周囲の乗客たちはというと気が付く者は誰もいなかった。