salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 論 理

昔から考えてきたことがある。
それは、情念や感情や気持ちはとても危うい、というもので、それが今の自分の生き方や音楽の元にもなっている。


ある種の脳と結びついた感情(怨念や精神や願望とか)は、直感とは違ってある出来事が自分にとってどうなのか、という利己的な判断だと思う。
一方直感や感覚は60兆個ある全細胞の総合的判断なので、100%正しいと思っている。脳には判断を歪ませるあらゆる情報がいっぱいある。
だから細胞に由来する感情としての笑いや喜びを求めたい。


ぼくは子供の頃から暴力について考えてきた。そして暴力の背景に感情があった。感情によって素晴らしいできごとも起こりうるが、それは結果であり、起こりうる悲劇とは表裏一体だ。
だから客観的にものを見たいと思った。感情や先入観や固定観念によらない冷静な考えをしたいと思った。そうすることでより中立で正しい判断をすることが、差別や暴力を除くことにつながると考えた。
でもそのためにぼくは感情を表すことを抑えていたかもしれない。
ぼくは喜怒哀楽の少ない人間に見られているかもしれないし、人に誤解を与えているかもしれない。


論理的なことばを嫌う人がいる。ものごとを整理できない人も多い。問題が分からないまま悩む人も。
そんな場面では尚更一生懸命論理的に説明をしてしまうのだが、「通じない」ことがある。
互いにすれ違い、無駄な労力と寂しさと苛立ちを味わう。


そう、忘れていた。身体で人に接することで「腑に落ちる」ことがすべてであって、これはすでに理屈や論理ではない。
今までの思考を間違っていたとは言わない。
でも、そろそろそれにも囚われない生き方をする時期かもしれない。