salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 「祝子」(houri) 後記

ぼくは多分、音の横の流れや勢いで演奏してきた人だけれど、録音や編集の段階では「縦」(時間軸や和声)を意識しなければならず、それは自分にとって結構負担でした。苦手意識に関しては反省しています。一方、今まで自分が絶えず選択をしてきてある今の自分の表現が当然持っている問題意識があります。音の「時間」と「空間」に対する支配の問題等、「音楽」の背後にある「学」としての歴史や理論、権威を久しぶりに思い出したのかもしれません。


具体的には、和声的にどこまでピッチを合わせれば良いのか(合わせなければならないのか)。つまり個々のエネルギーとしての意思を持った不安定な音程と、数値的に固定された音関係(ハーモニー)から生まれる効果やエネルギーとのせめぎ合いにも悩みました。
それにデジタルの音のことがよく分かりません。必要以上に音同士がぶつかって聴こえ、生楽器とは( 当然? )全然違う。もう少し対処、対応できないといけないと思います。
それと、器械相手に「呼吸を合わせる」ことにも難儀しました。
もうひとつ、音としてのエネルギーそのものが録音や編集によってどう変化するのかしないのか、実は大きな関心を持っているのですが、そこらのことがさっぱり分かりません。自分のからだの聴く感覚を磨くしかないのでしょう。


自分の関心事や感性に従いつつ、それらに対する答えを、これからの演奏や次回作で見つけていきたいと思います。