salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 デビュー5周年

言い換えれば脱サラ5周年。10月20日。
父(90歳)の年金にすがって同居、大分在住。まず、じっとしていれば生存できる。車の維持費程度の仕事をチョットしてて、車での移動を確保。あとは演奏して黒字になった分で人生のやりくりをしている。外食やコーヒー飲むのもそこから。これを音楽家として自立というかどうか知らない。


この5年の間には10円単位で困った時期もあって、あれはミソギだったなあ。チョイワルもしたし。地元の人間にぼくはいないことになっていたし。姿見せないから。でもそのミソギのおかげで音楽家になれたような気がするのは気のせいか。
今は100円単位の思考とでも言おうか、随分な進歩だ。時々は喫茶店にも行ける。
ミュージシャンも色々で、もっと困っている人たちもいるだろう。借金までいかなかったのは幸運だ。


楽家としてどう活動すれば良いのか、どうやってお金を得るのか、CDの作り方売り方、何をすれば良いのか。な〜んにも知らず、やみくもに動いて、どうやらハウツーはないぞ、と分かってきて、それでガムシャラに動いて、演奏するほどお金が減って、ツアーすれば赤字で、演奏するためにツアーして。
でも基本的に音楽だけでやってこれたことは事実なので自賛しよう。




自分の演奏を聴くために人が来るって、ナンテスゴイ。
自分の演奏を聴いてくれるって、ナンテスゴイ。
自分の演奏を喜んでくれるって、ナンテスゴイ。
CDを買ってくれたり、サインを喜んでくれる、ナンテスゴイ。




この5年、ずっとひとりで動き、オビタダシイ初体験をしてきた。
ヨーロッパ1ヶ月のツアーを5回、日本最西端、最南端の島から北海道までツアー、270回ほど演奏をしてきて、CDもソロを2枚、共演モノ2枚をリリースした。
日本中世界中様々な人やライブハウスやカフェやギャラリーや組織やフェスティバルや少しでも可能性のある所にコンサートをお願いし、メールで交渉してきた。大半は返事をくれないけど、自分の懐からギャラを出してくれる人もいる。
東京デビューでは初めての場所で知らない人ばかりが来るんで正直緊張した。イヤ、どの演奏会も知らない人ばかりだったのだけど。自分の演奏が通用するのか恐かったし。
初めてヨーロッパ、アムステルダムに滞在した時も恐かったなあ。事件があったわけでもなんでもなくて、ただ怯えていた、オロオロして。英語もほとんど喋れないし、永い間英語に接することなんてなかったもの。
ではその後、他の都市や国に移動するようになってどうだったかというと、、、アグレッシブだった! だれでも人をつかまえて聞いて聞いて綱渡りをしてバスや列車や乗り継ぎや家探しを成功させてきた。それらはリアル感がありすぎて感慨はない。事務的にサバイバルをするのだ。無我夢中に。
その上、ほとんど「今」に集中して先のことばかりを考えて動くので、済んだことはドンドン過去の出来事になっていく。終わったことは演奏も含めてあまり思い出すことがなく、霞の中の記憶なので、人に訊ねられて困ることが多い。観察力の問題もあるが、初体験が多いと不感症になるのかな。


脱サラして音楽家になるということは想像以上の変化で、まったく環境が変わることだった。自分の立場、レッテルが変わるのだから当たり前すぎることだけど、自分が変わるということは、一人称的には環境、状況が変化することで、それは対人関係も変わることだった。そのことに気付くのに時間がかかった。悲しい出来事もいっぱいあったけど、その意味がやっと理解できた。自分自身それら変化に無自覚だった。それまでの関係が続いていくものと錯覚していただけだった。
悲しいと受け取るのはセンチメンタル。変化こそが素晴らしいのだと思う。変化に身を委ねて未来が開ける。
これ、即興演奏の極意!


こうしてサバイバルミュージシャンはかなりストレスを受けてきた。でもサラリーマン時代のそれではない。
サックス2本を肩に掛け、トランクを引きずるのがぼくのツアースタイルだが、肉体的なストレスは増す一方。




ぼくにできることは音に集中して、一生懸命演奏することだけ。でなければ出会いもなく、助けてくれる人もいないだろう。その役割をする中で、人とつながる。
9月に始まった「Salmo Rise」はそんな象徴として、5年の総括でもあり出発としての新シリーズ。そして来月、初めてのアメリカとカナダに行く!


札幌、東北、東京、名古屋、大阪、山口、松山、福岡、熊本、沖縄、、、のみんな、どうしてるかな。
パリ、ブルッセル、アムス、ケルン、ベルリン、ミラノ、トリノボローニャチューリヒジュネーブ、、、
あの人この人元気かなあ。お世話になった人、優しかった人、(ギャラくれなかった人、カメラ盗った人)、、、。
これからもぼくはみんなに助けられて活動していく。多分ぼくの音を喜んでくれる人がいて、それで持ちつ持たれつ、、というか助ける側にもなれたらいい。まだまだゆとりはないけれど。