salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

 音楽についての告白

音楽について述べるのは難しくて、自然に関する記事の方が多くなってしまっているかもしれない。
そこでブログ最初の書き込みにあたって音楽の話に挑戦してみよう。


小学校の器楽部活動がぼくの音楽活動の原点だと何度か語ったと思う(学外のピアノ教室は楽しくなかった)。
熊本市の託麻原小学校はレベルが高かったが、顧問の先生が3、4年生時担任でもあり、クラスには音楽が得意な生徒が多く、3,4年生の器楽部を5,6年生とはを別に例外的に作ったりして、後から考えるとそれらは意図的な長期計画だったのだろう。
2年生の頃には大抵のメロディを同時通訳で階名で言えて演奏でき、作曲もした。
1〜5年生の間、器楽部以外にもコーラスや鼓笛隊、当時珍しかった鼓隊発足にも参加し、ハーモニカ、ハーモニカホルン、リコーダー、太鼓、アコーデオン、最後にはコントラバス(ベース)を演奏。音楽的な日々で楽しかった。
でも、6年生になる時大分に転校。そこには音楽的な土壌はなく、辛い別れは随分長い間トラウマになり幾度となく夢を見た。




とにかく、ぼくは音楽が得意で好きだった! そして楽しかった!




「得意」について考えてみる。
「得意」は演奏技量についていうのだと思っていた。実はその意味でぼくは自信がなかった。周りに名手達がいたから。木琴のKくんは素晴らしかった。アコーデオンやピアノの女子たちは眩かった。ハーモニカのKさんたちも、本当にうまかった。初めて話すが、かれらを尊敬していたし恋していた。
一方ぼくは完全に曲をこなせなかった。ひとつの楽器に限定して修練しなかったせいもある。
「音楽が得意なのに得意な楽器がないことが苦痛だった。」
サックス演奏にも尾を引いているのか、自分でうまいと思ったことがないが、ただ音色だけは力を入れてきた。
音楽は技術ではないとうそぶいてきた。ある意味下手でよかった。現在の音表現もそうしてできたものだ。
今にしてみれば、自分の「得意」を実らせる術がだれにもなく、ひとり模索してきたとも言えるのだろう。
それは即興という表現手段にもリンクしている。




「好き」について考えてみる。
大分で音楽的受け皿を失い、そして年齢的にクラシック離れを迎えたが、他に好きな音楽がない。それは「ジャンル」の意味なのだが当時は明確でなかった。
「音楽が好きなのに好きな音楽がないのが苦痛だった。」
高校でジャズに出会って、その勢いが今につながった。


今なお自分は音楽が好きなのか自問は続いている。
将来に演奏活動ができないのが見えた時に音楽を選択、脱サラ。それを通して音楽がかなり上位にあることは分かったが、例えば、色々な状況で音楽が(聴こえ)なくてもなんともない。いつも楽器に接してなくてもなんともない。
音楽活動が好きなのだろうか、とも考える。ならばそれは小学校が原体験だろう。
音楽を通してできる人との直接、間接のコミュニケーションが好きなのか。
もしかしたら「音楽」より「音」が好きなのか。


こうしてみてくると、ぼくは曖昧なままに直感と感性だけを頼りに自分の中に何かを探り創ってきたのか。
技術とジャンル外に自分の居場所があるのは宿命だったのか。
直感と感性で共鳴する音を探し生き生きと表現するのが自分の仕事で、「得意」と「好き」は原動力だったのかもしれない。




今まで話さなかった小学校時代のもどかしさと原点に触れたかったが、結局今を語る文章になった。
なお整理が必要だが、いずれ書き改めるということでご容赦願いたい。