salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

女性性

50年近く前、バンドもオーケストラも即興演奏も新鮮で純粋に作って挑んでいた。40年ほど前大分に移住してからのバンド「パッチワークス」や、2008年の「サルモサックスアンサンブル」などなどでは、楽譜とかルールを通して各人が感性をいっぱい出してくれることを希んできた。そう来たか、そんな音が、みたいに。完全にルールのない「即興演奏」においても相手が自分の本性から音を出すのを期待している。

いまの時代は、例えばある曲を練習するのに、既音源のネタをみんなで聴いて音合わせするようだ。すでにあるイメージを再現、それもいいけど、せっかく人が持っている感覚の音を永遠に封印していないか。ぼくにとって「一回性」は宇宙の宝に思える。

 

ぼくはアマチュアの心で世界に通じる音楽を目指してきた。そうしてメンバーを引き上げる作業を続けた。いやそうではなく、従来のやり方の外に出ることを促していたのだろう。テクニックでも特殊性でもなく、感情や意識の奥にある素直さを求めた。それがその人の音だから。

結局ぼくのやり方は時代にそぐわないままだ。今までやってきたグループは楽しかったものの、音に予兆を感じつつも実現には至らなかった。

 

宇宙的に女性の時代に変わったと言われている。ぼくは28年間呼吸法をやり続け身体や感性を女性に近づけようとしてきた。

20年前に脱サラして、音楽界美術界あらゆる世界が権威と力で成り立っているのを理解していった。自分の感覚を忘れ、人やモノそれ自体を自分で評価できない人々。音楽は音の中を観るものなのに、多くの人々は音楽を見てはいても聴いていない。

男対女という対立構図でもなく、女だけでなく男の中にもある女性性を引き出す時代。リーダー不要、依存しない自立の時代。

 

ぼくの映画「水の叙情詩三部作」でもそんなことを描かされた。

道具も技術も知識も意図もなく始めた映画制作。パソコン上でコマをドラッグしていく作業はタロットのようであり、夢中で撮り続けた膨大な水の表情たちはカードだった。そのカードや配置などから来るインスピレーションで自分の中のストーリーを知らされていった。今のこの世界が三部作の筋書きで動いているとすればおもしろい。

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なにかわからずただ違和感を頼りに感性でやってきたことが、ここに来てけっこう地球の流れに合致してきたような気がする。これから来る時代を求めていたのかな。ぼくや山﨑昭典との「サガイン」はそこに向かう。