salmosax note

音楽家・山内桂 の雑感ページ

天の声と新世界

18年前、あれは天からの声だった。
会社勤めを辞めるなど微塵も考えることなく23年半経ち、音楽もスキー登山も渓流釣りも楽しんでいた。そんなある日突然、目の前の仕事上のハードルを越えたらどうなるかという問いが初めて浮かんだのだった。出た答えは「音楽ができなくなる」。そして翌日辞表を出した。

 

そして自らかけていた封印がどんどん解けていき、大友良英氏の助けもあり順調に東京や世界の音楽界に乗り出した。最初の年から50本/年の演奏会をキープし、手探りで国内はもとよりヨーロッパを中心に世界に広げていった。
しかし甘かった。音楽で生計を立てるなどできるはずもなかった。少しづつこの世界がわかってきた。パトロンがつかねば成り立たないこと。そんな人や企業の目にとまるためにも活動を続けたが、生活できるようなレベルのサポートやギャラは得られなかった。ぼくは自分に誠実に音を出すことを信条としていたから当然ではあった。

 

更にわかってきたことは、そんな援助がなかったこと自体が天の働きだった。金銭的な支援の意味はなにか。簡単に言えば資本主義体制に絡め取られることだった。それは弱肉強食のピラミッド体制に組み込まれること。そしてぼくは無意識にピラミッドの外にいた。大都市に住むこともなく地方に住み続け、音を世界に発信してきたのにはそんな意味もあった。
それでもぼくは今日まで音楽活動を続けて生きてこられた。いやな仕事をすることもなく、毎日温泉につかり近くの山や川と親しくしている。ここに人類に共通する答えのヒントがある。


いま世界は激変していてあらゆる価値観が変わるだろう。お金をもらって演奏するという発想も変わるかもしれない。そもそも自分や音楽に値段はつけられないし、消費されるのもまっぴらだ。演奏会に介在するのは感謝や喜びであるはずで、それがお金や他のものに変換するのが本来だと思う。

 

他人事ながら、コロナ騒動に翻弄されて、周りのことや起きていることが見えなくなっていないか、なによりも自分を苦しめていないかと危惧している。
ぼくはマスクをつけずにきた。抵抗しているわけではなくただ自然に。でもちょっぴり、それは人々への愛のメッセージなのかなとも思っている。
現状を言えば、演奏活動の予定も立てられずにストレスがない訳ではない。昨年の演奏数は半減した。でもまもなく来るであろう明るい時代に自分も環境も備えつつあるようで、暇にまかせて足元の整理、つまり部屋の亜スタジオ化や掃除などをして、静かに新しい世界を待っている。

・怖れず用心はして ・人に依存せず自分を生き ・そのためには自分の直感感性に従い ・それは自分を信じ愛すること。

ぼくの自然体験や西野流呼吸法、そして音楽を通して深めてきた認識だ。

(注:個人の体験的見解です)